SOAS University of London

Centre for the Study of Japanese Religions

“The Life of the Buddha”: A Narrative Genre and the Image of India in Japan and East Asia

THIS EVENT IS ARCHIVED
Abe Ryūichi, Lucia Dolce, Komine Kazuaki, Kim Young-soon, Suzuki Akira, Watanabe Masako.

Date: 31 October 2014Time: 5:00 PM

Finishes: 31 October 2014Time: 6:30 PM

Venue: Brunei Gallery Room: B204

Type of Event: Workshop

Programme
10:00Welcome by Lucia Dolce (CSJR Chair, SOAS)
10:10 – 11:10
Keynote Lecture

Komine Kazuaki (Rikkyō University)

‘The Life of the Buddha’ and the Image of India in Japan and East Asia: On the Shakushi genryū (in Japanese)

11:10 – 11:30Coffee Break
11:30 – 12:30

Abe Ryūichi (Harvard University)

Revisiting the Dragon Princess: Her Role in Medieval engi Stories and Their Implications in Reading the Lotus Sutra

12:30 – 14:00Lunch Break
14:00 – 15:00

Watanabe Masako (Gakushūin University)

Illustrations of the ‘Life of the Buddha’ in Medieval China and Japan

15:00 – 16:00 

Kim Youngsoon (Rikkyō University)

The Representation of Māra in the ‘Life of the Buddha’ (in Japanese)

16:00 – 16:30 Tea Break
16:30 – 17:30 

Suzuki Akira (Rikkyō University)

“Śākyamuni” and “India” in Sixteenth Century Kyushu: Knowledge and Imaginative Power in Peripheral Cultural Centres (in Japanese)

17:30 – 18:30Roundtable  
18:30 - 19:30Wine Reception

 

発表要旨 ABSTRACTS

小峯和明(立教大学名誉教授)Komine Kazuaki (Rikkyō University)
「日本と東アジアの〈仏伝文学〉と天竺世界―『釈氏源流』をもとめて」

‘The Life of the Buddha’ and the Image of India in Japan and East Asia: On the Shakushi genryū

ここでいう〈仏伝文学〉とは、いわゆる釈迦の生涯の物語(仏伝)を中心にしつつ、ジャータカ(本生譚)をはじめ、阿難や目連ら仏弟子の逸話、涅槃後の舎利をめぐる霊験譚、須弥山をめぐる帝釈天と阿修羅の対決譚など天竺神話ともいうべき説話類をひろく指す概念である。
日本の〈仏伝文学〉研究はかつての黒部通善『日本の仏伝文学の研究』をはじめ、種々積み上げられてきているが、個別の作品研究が大半であり、どちらかといえば古代・中世に偏向する傾向が強く、近世・近代は充分視野に入っていない印象を受ける。しかしながら、中世の『釈迦の本地』が古活字版や絵入り整版の刊行、説経・古浄瑠璃の語り物とその正本をはじめ、絵巻・絵入り本の作成等々、近世にこそ流布し、再生産され続けたことをみれば、時代ごとに切断する史的通念こそが打破されるべきであり、重層化しあう文化と文学状況が問われなくてはならないだろう。
 その一方で、〈仏伝文学〉は東アジアに広範にひろまっており、地域ごとに多様で多彩な文化を生み出している。とりわけ中国、朝鮮、ベトナムなど漢字漢文文化圏において重要な領域をなしており、文字テクストに限らず、絵画や造型にも表出され、絵解きや語り物などメディア・ミックスの様相を示しており、それら複合する媒体や表象との連関をぬいてその全体像をとらえることはできない。
ここでは特に中国の明代、十五世紀に編纂された『釈氏源流』をとりあげ、主に本文と絵画との関連について検討したい。本書は、「為母説法」のごとく、漢字四字の表題ごとに仏典類の出典を冒頭で明示する十数行の本文と挿絵とからなり、四百段にも及ぶ仏伝と天竺から中国への仏法伝来を説く僧伝説話主体の壮大な仏法史である。時代を追って幾度も改編され、清代の十八世紀には大幅に挿絵も改変され、『釈迦如来応化事蹟』という書名に変わり、仏伝中心の編集になっている。墨印の挿絵に後から彩色を施したテクストも複数あり、本文と絵画との相関にさまざまな問題を投げかけている。また、寺院の壁画や扁額にも描かれており、その影響度もうかがえる。
さらに本書は東アジアにひろまり、朝鮮版、ベトナム版、和刻版が制作され、東アジアのカノンとしての意義をもおびている。朝鮮では本書を抜粋したハングル版『釈迦八相録』も刊行され、ハングルへの訓読とともに改変が進んでいるし、ベトナムではチュノム(喃字)交じりの詩にもなっている。〈漢〉から〈和〉への変転の問題からも重視され、可能な範囲で諸問題を検証したいと思う。

阿部龍一(ハーバード大学教授)Abe Ryūichi (Harvard University)
「「法華経」の龍女再訪——中世縁起文献に登場する龍女の役割と法華経龍女譚の再考」

Revisiting the Dragon Princess: Her Role in Medieval engi Stories and Their Implications in Reading the Lotus Sutra

There is greater affinity than hitherto been recognized between the origin stories (nidāna, jātaka, itivṛttaka, and avadāna) within the tradition of Buddhist scriptural narratives, on one hand, and on the other, medieval Japanese engi literature.  This essay strives to demonstrate such affinity by reinvestigating the characterization of the Dragon Princess in the Lotus Sutraand comparing it to the role she plays in the Nō drama Ama (Female Diver) and the Sanshū shido dōjō engi (Origin Story of Shido Temple in Sanuki Province) on which the Nō drama is based.  The juxtaposed reading of the scriptural episode and medieval Japanese drama evinces that the so-called henjō nanshi-ryūnyo jōbutsu theory that highlights her sex change and instant attainment of the Buddhahood is nothing but an egregious distortion of the sutra’s episode.  It also suggests that medieval Japanese engi stories have potential to exercise greater power than do dogmatic exegeses in illustrating the subtleties of character development and narrative formation in the Buddhist scripture.  Grounding itself on these new findings, the essay in the end attempts a reinterpretation of the celebrated frontispiece image of the Dragon Princess in the Devadatta scroll within the Heike nōkyo decorated sutra collection.  In the frontispiece the princes offers her magnificent jewel to the Buddha.  The image will be analyzed as a cipher that simultaneously showcases the Heike clan’s profound knowledge of the Lotus Sutra’s poetics, metaphoricity, and rhetoric, celebrates the clan’s worship of the Itsukushima Shrine, and prays for Itsukushima Goddess’ protection of the clan, in particular Tokuko, the clan leader Kiyomori’s daughter.

従来の研究では見逃されがちであったが、縁起、本生、本事、譬喩などに分類される仏教経典中の前世因縁譚と中世の「縁起」に関わる文芸作品には意外なほどの親和性が認められる。本稿は一方で「法華経」の龍女譚の、もう一方で「讚州志度道場縁起」さらにそれに取材した謡曲「海士」の中の龍女の位置づけを比較することで、そのような親和性を浮き彫りにする。経典中と中世の物語の龍女像に共通する特徴を導き出すと、いわゆる中世教学的な変成男子・龍女成仏説による龍女像が「法華経」龍女譚の極端な歪曲であることが明白となる。これとは対照的に縁起文献中の龍女像は一仏乗を実践する大菩薩としての龍女の経典中の役割を的確に捉えている。つまり経典中の物語の組み立ての精妙な襞や色合いを理解するためには、教条的な注解よりも縁起文献を精読する方が有効であるという可能性を指摘できる。このような新しい視点から本論の完結部では「平家納経」提婆品見返し絵に示された龍女の宝珠奉献の場面の再解釈を試みる。第一に平家一門の「法華経」理解がその教理だけでなく譬喩や言辞に及ぶ優れたものであったことを証し、第二に一門による装飾経典奉納と厳島へ信仰を慶賀し、さらに第三に平清盛の娘である徳子をはじめ一門への庇護を厳島辯才天に祈願する、この三点を同時に表した絵解きとして見返し絵を読み解く。

渡辺雅子(学習院大学招聘研究員)Watanabe Masako (Gakushūin University)
「中国と日本における中世仏伝図」

Illustration of the ‘Life of the Buddha’ in Medieval China and Japan

The Life of the Buddha has been viewed as a model for humankind since ancient India. Buddhist texts of the Life of the Buddha were written in myriad versions and reorganized and elaborated through centuries.  These multifarious texts spread all over Asia. In my paper A Long Scroll of Buddhist Icons ( 17 meters in length; originally album book, owned by National Palace Museum, Taipei), painted by Zhang Sheng-wen (張勝温)in 1180 in Dali Kingdom, present-day Yunnan Province in south China, will be discussed with particular focus on a section of a cycle of the life of the Buddha including the following episodes: Treasured tower of a stupa (舎利宝塔)、Lady Rupasari, mother of Sariputra who was converted by the Buddha (郎婆靈仏)、the Buddha leaving his castle(踰城世尊仏),  the Universal Buddha, Mahavairocana(大日遍照仏).  Each page of the Dali scroll has a central icon of a Buddha and illustrations of episodes from the Life of the Buddha. The four episodes are not in chronological order; nor are they popular episodes from the life of the Buddha.  In fact, the Dali scroll's unconventional selection of various episodes from the Life of the Buddha reflects the regional Buddhist context of the Dali Kingdom.  At the same time the connection between the Buddhist iconography in the Dali scroll and medieval Buddhism of Song-dynasty China cannot be ignored.  

The latter part of my paper will discuss medieval Japanese paintings of the life of the Buddha, with particular focus on regional traits of Japan in comparison to China as the center of Buddhism. The discussion will shed light on Japanese modifications of the Life of the Buddha through  examinations  of “Excursions from the Four Cardinal Gates”(四門出遊) and “Subjugation of Demons“ (労度叉闘聖) .

釈迦の一生は生きとし生けるものの理想的なモデルとなってインドの原始仏教の時代から可視化されてきた。仏伝の経典は多種多様につくられ、何度も再編され潤沢され、アジアの四方へと普及していった。その豊富な仏伝経典とその変容とともに中世における中国仏伝図像が生み出されてきた。今回の発表はまだあまり紹介されていないが、しかし重要な宋時代大理国の仏伝図を検討する。時間の許すかぎり、後半には日本中世仏伝図から仏伝エピソードの選択の好みを観察しながら、中国でのエピソードの選択と日本での選択の相違をみくらべることで仏伝物語化という和様化の実態をみていきたい。
1180年に制作された『大理国梵像図巻』一巻(元は冊子本)が台北の故宮博物院に所蔵されている。約17メートルの長さの紙本に極彩色で描かれている。そのうち4ページが仏伝関係の図様であり、日本ではあまりみられないエピソードが描かれている。「舎利宝塔]「郎婆靈仏」「踰城世尊仏」「大日遍照仏」の4ページを詳細に図像検討するなかで、この仏伝図の特徴である礼拝像(iconic image)を中心にして周りに仏伝からのエピソードを描きこむ。この特有なピソード選択と表現方法が大理国貴族在家仏教的世界を表出と同時に宋代時代の仏教の世界観をも表していそうだ。
発表の後半は日本という場所で中世仏伝図がどのようなに変容していったかを検討してみる。ことに日本の中世仏伝図でも伝統的な仏伝のエピソードではない説話を混入されていく。例えば労度叉との戦いの場面がしばしば仏伝図のなかに含まれていく。そして中世後期には仏伝物語が発生し日本の土壌で培われた文化要素がはいりこんでくる。その変容の過程を四門出遊のエピソードを例にとってテキストと絵画化を検討してみる。

金 英順(立教大学兼任講師)Kim Youngsoon (Rikkyō University)
「仏伝の降魔成道にみる魔王」

The Representation of Māra in the ‘Life of the Buddha’

仏伝に説かれる「降魔成道」は、釈迦が魔王の軍勢を敗北させて悟りを開き、人間から仏になる画期的な瞬間を描く仏伝のクライマックスの場面として知られる。釈迦が仏になるのを恐れていた魔王は、美しい魔女達と恐ろしい形相の魔兵衆を釈迦のもとに遣わして、性的な誘惑と武力で悟りを開くのを妨害しようとしたが、釈迦が少しも惑わず屈しなかったため、魔王自ら魔軍を率いて釈迦を攻撃する。しかし、釈迦の前では魔王の威力は全く効かず、魔軍の武器は蓮花に変わり、終に魔王は敗北を認め、釈迦は悟りを開いて仏になるのである。
「降魔成道」には、釈迦が悟りを開くのを妨害しようとする魔王に、釈迦への攻撃を止めるよう諌言する子の魔子が登場して、釈迦成道をめぐる魔王親子の葛藤が描かれ注目される。魔王は度々父に諌言して対立する魔子に悩まされ、終に魔子を勘当してしまう。しかし、後に釈迦を誘惑することに失敗して戻された魔女達も父の魔王に釈迦への攻撃を止めるよう諌言し、魔王は再び子によって悩まされて苦しむのである。
「降魔成道」にみえる魔王の親子は、インドを始めとする仏教伝来の国々に釈迦成道の一大事における重要な存在として広く知られているが、特に東アジアでは、仏伝経典や仏伝類書などをもとに作られた仏伝文学に詳しく語られている。中国では詩頌を加えた10世紀末の敦煌変文『破魔変』には魔王と魔女達による釈迦成道の妨害が詳しく語られ、挿絵を附した15世紀の『釈氏源流』には魔王に対立して諌言する魔子の様子が描かれている。韓国では降魔成道の一枚図を加えた15世紀の『月印釈譜』と19世紀の『八相録』などに魔子・魔女の様子とともに魔王が釈迦を攻撃する場面が詳述されている。日本では挿絵を付した16世紀の『釈迦の本地』に提婆達多とともに釈迦の悟りを妨げようとする魔王の姿が描かれ、17世紀の『釈迦物語』では魔王は釈迦成道の場面だけではなく、釈迦が摩耶夫人の胎内にいる時から釈迦を害するために現れるなど、仏伝を改変して独自の記述を加えて語っている。
本発表では、釈迦成道における魔王の親子に焦点を当てて、魔王と魔子・魔女達が仏伝の「降魔成道」にどう描かれているのかについて、仏伝の記述だけではなく、絵画のイメージとあわせて追求し、仏伝における「降魔成道」のもつ意義を検証したいと思う。

鈴木 彰(立教大学教授)Suzuki Akira (Rikkyō University)
「16世紀における文化的拠点としての薩摩・坊津―〈釈迦〉と〈天竺〉に関する知識と想力をめぐって」

“Śākyamuni” and “India” in Sixteenth Century Kyushu: Knowledge and Imaginative Power in Peripheral Cultural Centres

16世紀の日本国内の様相を特徴づけるのは、何といっても全国各地で大小さまざまな戦乱が続いたことである。と同時に、この時期に西洋社会との交流が本格的に開始され、鉄砲やキリスト教をはじめとする西洋文化の移入も進んだ。人々は、諸局面において、旧来の認識や価値観を見つめなおし、新たな社会体制のもとでの体系化を進めたのである。
 こうした大きなうねりのなかで、国内諸地域の人々は、いかなる文化環境を育んでいたのであろうか。現状をみるに、中央の権力者(天皇や将軍)をとりまく文化環境の解明が飛躍的に進みつつあるのに比べると、そこから離れた諸地域における文化環境の解明は、大きく立ち遅れている。したがって、今後は、国内諸地域の文化的実態を掘り起こし、それらを比較・対照しながら、当時の日本文化の全体像を描きだしていく必要があるだろう。
 こうした展望のもとで、私はこれまで、南九州の薩摩・大隅・日向という地域を領していた島津氏が育んでいた文化環境の解明に取り組んできた。本発表では、薩摩国の南西部の端に位置する坊津という地域をとりあげる。坊津は、東アジア各地の港を結ぶ海路に支えられた重要な港湾都市である。そこには、かつて一乗院という真言宗寺院が存在した。この一乗院は、日本各地の寺院との交流を確認できる重要な宗教拠点で、16世紀の段階で、数多くの典籍や仏像・仏具等を所蔵していた。残念ながら、明治期の廃仏毀釈によって往時の面影は失われたが、幸い近世以降にまとめられたいくつかの宝物目録や由来記が伝来しており、それらによって一乗院宝物の由緒や伝来過程をうかがうことができる。
 本発表では、これらの資料によりながら、一乗院旧蔵の品々の由来に焦点をあわせ、文物や知識の伝播という観点から、東アジア海域の文化的拠点としての坊津の姿に光をあてる。あわせて、そこに生きていた人々の〈釈迦〉や〈天竺〉に関する知識と想像力のありようを検討することにしたい。

Organiser: Centre for the Study of Japanese Religions

Contact email: tp26@soas.ac.uk