SOAS University of London

SOAS Language Centre

Projects by students of Higher Advanced Japanese 2005: Abigail Rayfield

手塚治虫 漫画家

アビー

欧米人は、鉄腕アトム、すなわち「 ASTRO BOY 」というキャラクターを知っているだろう。私が十年前ぐらい始めて鉄腕アトムの姿を財布やかばんの模様に見かけた。アトムはディズニーと違って、顔がかわいくて、流行っている「日本のアニメ」っぽくて、すぐ好きになったのだ。

数年後、非ほんの滞在の終わりが近づいている頃、東京の慶応義塾大学の日本語夏季集中講座に入ることにした。講座の教材の中には手塚治虫氏に書かれた「ぼくの戦争体験」をいう自伝からの抜粋があり、 ASTRO BOY を創造した日本の第一漫画家について学んだ。

手塚治虫氏は1928年11月3日、大阪で生まれ、「手塚治」と名づけられた。子どものころから家族と一緒に父の大好きな漫画をよく見て、若くても妹と競争して絵を上手に描くようになった。近くの宝塚市に学校に通って、そこの友達のおかげで虫に興味を持つようになり、そのきっかけで「虫」という字を、ずっとあとに自分のペンネームに使った。

子どもの手塚治君は学校でいじめられたが、漫画を描くのをとおして結局人気になった。でも、中学生に進学してしばらく、第二次世界大戦が起こった。その時からほとんど授業がまともに行われず、手塚君たちは工場に勤労奉仕に行かされてしまい、1944年の一年間学校に通わずに過ごしていた。

ある日、手塚君は工場のやぐらの上から監視をしている時、悪夢のように、雲の間から敵機のB29を偶然見えて来た。いきなり焼夷弾が空中に落とされ大人の手塚氏の言葉で「瞬間的にあたりは火の海になった」「おれはもうおしまいだ」とその時に思った。

手塚君は生き残っていたが、仲間、同僚たちは皆死んでしまった。「死体の山」だったそうだ。学校も工場もなくなったため、することはなかったのだ。そこで、手塚君は家で一生懸命漫画ばっかりを描いた。

数年後、手塚氏は学校、大学を卒業し、漫画を描きながら医者にもなったが、結局漫画を選んで夢中になった。今日、手塚治氏漫画は世界中に知られている。

手塚氏の戦争体験が、漫画の基本的なテーマになったのだ。つまり、手塚氏の言葉で「生きていたという感慨、生命のありがたさ」が手塚治氏の漫画の主な意味なのだ。

アビゲール

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